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東北地方太平洋沖地震~当日~ [impressions]

ひさびさにブログの管理画面を開いた。
地震のこと、やっぱり記録しておかないといけないと思った。
地震が起こってから10日間で起こったことを書き記そうと思う。

3月11日 当日
金曜日、夜はホットヨガに行こうと思い、準備をして家を出た。
特に何の予感もない、普通の金曜日。
勤め先は築地にある雑居ビルの7階で、お昼から戻ってから
何をやっていたのか、よく覚えていないけれど机の上は書類でいっぱいだった。

14:46揺れが襲う。
襲う、と書いたが、襲われた感じは当初全くなく、
何か揺れているな、と思った。
長いな、と思った。
長い。揺れが激しくなってきた。
「机の下に入れ!」と社長が叫んだ。
多分言われるより早く入っていたかも(笑)
机の下にもぐってからもゆれはどんどんどんどん激しくなり、
積んであった段ボールは崩れ、コピー機が向かってきた。
とにかく長かった。何分くらい揺れたのだろう。
5分くらいに感じたが、実際は2分くらいではなかっただろうか。

揺れが収まった後机の下から出てみると、すべてが倒れている感じ。
机の上もめちゃくちゃなのに、なぜか中身の入ったコーヒーカップは無事だった。
不思議な光景。
多分そのあと、茨城沖を震源にした2発目が来たのだろう、揺れた。
余震かと思ったけれど、実際はあれも余震ではなかった。

とりあえず下に避難しよう、そうしよう、ということになり
階段で下まで降りた。エレベーターはなぜか6階で止まっており
動く気配はない。
この近くの避難場所はどこか、明確な答えを持っている者はおらず
まあ、そんなものだ。平常時はそんなこと気にもしない。
会社のあるビルから聖路加国際病院まで歩いた。
築地近辺には古い家が多いのに、案外被害はないように思えた。

下に降りてすぐ、実家に電話した。
なかなかつながらなかったが、何度目かで父親の携帯にかかった。
最初は向こうが音声を聞き取れず、かけなおす。
なんとかつながって無事を確認した。
でもそれ以降、実家には翌朝まで電話がつながらなくなる。
その合間に兄、妹、義弟からメールがどんどん入る。
といっても、問い合わせをしないとうまく入ってこなかった。
誰か実家に連絡取れた者はいるかとの兄の問いかけに
お父さんと話したよ、無事だったよと返す。

きっとこんなことがなければ立ち入ることもなかったであろう聖路加国際病院の中庭で
ワンセグでテレビを見ると、津波警報の文字が躍っていた。
3m、6mと数字が上がっていき、ついには10mの大津波警報の文字が。
まさか、10mなんてありえない、そんな風に思ったけれど
そう思った時にはもう、津波が到達していた場所があった、と今では思う。
夢ではない、現実だった。

30分ほどその場に居て、会社に戻った。
中はめちゃくちゃで、足の踏み場もないという感じ。
とりあえず身の回りを片づけていると、また揺れた。
今日はもう危ない、このビルから出よう、そう社長が言った。
お客さんどうしよう、大丈夫かなと思ったけど、身の危険を感じてそのまま従った。
外に出て円陣になり、どうするどうするが始まった。
私はラッキーのことが心配で心配で居ても立っても居られない気分だった。
この場でじっとしてはいられない、無駄に時間を使えないと思い、私帰ります
帰っていいですかと宣言した。
もちろんその時点でなんのアイデアも無かった。
電車も止まっているし、どうやって帰るのだろう。今ならそう思うが・・・
とにかく家に帰りたかった。

16:30築地から徒歩で帰宅の途に着く。
あとから調べたところによれば築地から自宅までは約40キロある。
まあよく帰るなんて言ったもんだと今になって思う。
知らぬが仏とはこのことかもしれない。
幸いなことにその日はペタンコのローファーをはいていた。
スニーカーではないけれど、ヒール靴ではないから歩きやすい。
ついていた。
わたしは足首が弱く、うまく歩かないと捻挫しやすい。
怪我をしないように、それを一番気をつけた。

築地からスタートして八丁堀、茅場町、人形町と、新大橋通りをずっと歩いていく。
馬喰町あたりで清洲橋通りに入り、その後靖国通りから昭和通りへ出てひたすら
4号線を北上。秋葉原のあたりで人がぐっと増え歩きにくくなる。

スタートから2時間半、19:00の時点で北千住に到達。
このまま歩いて帰るのはムリだなとうすうす思い始める。
4号沿いに大きな自転車屋があったので駆け込む。
店内には自転車を買い求める人が沢山居て、自転車購入までに2時間と言われ
そんなには待てないと店を飛び出す。
やはり考えることは皆同じ。いかに早く手段を見つけ手に入れるかが
カギとなるのだ。

北千住から小菅方面にわたる千住新橋(荒川)の風のなんと冷たく強いこと・・・
夜、それも歩いて渡るなんて想像もしなかったが
実際今私はこの足で渡っており、まわりにはたくさん人がいる。
横を走る車は徒歩で北に向かう人々よりむしろ遅く、
車に乗っている人と乗っていない人の違いは、体力を使っているかいないかだけだ。
途中入ったセブンイレブンにはおにぎりやパンなどは何もなく
目にはいったおまんじゅうと干し梅を非常食として購入。
水分はトイレに行きたくなるので買わなかった。
途中にはたくさん自販機があり、今買わなくてもいつでも買えると思った。
トイレは途中1回だけ、スタンドで貸してもらった。

足立区にもなればタクシーを降りる人もいるに違いない。
少なくとも草加まで行けば絶対にタクシーは拾える。
確信なのか希望なのか、なぜか強い思いを抱きながらひたすら歩く。
ラッキーに会いたい。会いたい。会いたい。
夫はいま国に帰っており、家にはラッキーが一人でお留守番。
自宅の状況が全く分からなかったので、もしかしたら食器棚の
下敷きにでもなって死んでいるかも・・・ということまで想像した。
肝を冷やしながら歩き続ける。

向かい側に空車のサインを出したタクシーがチラチラと現れ始めた。
しかしこの渋滞・・・向かいから乗ってスムーズに埼玉方面に向かえると
思えない状況。
もう少しがんばろう。足立区役所を過ぎ、まもなく竹ノ塚というあたりで
左側の横道に信号待ちで並ぶ車の中に赤い光を発見!
走る走る!
ようやく空車が見つかった!
歩き始めて4時間、築地から15キロの時点だった。

個人タクシーのおじさんは築地から歩いてきたというと驚いていた。
普通に聞いたら驚くかもしれないが、多分今歩いている人たち
みんなそんな感じだよ。
車の中は温かくて、すごく幸せだった。

車になってから1時間、ようやく自宅に到着・・・・
車はやっぱり早い。
こわごわ車から降りて近所を見渡すと、妙に静か・・・・
なにこの「何もなかった感じ」は・・・
おののきながら家に入る。ラッキー、生きてた!
さらにおののきながら一番危険だと想像していた台所(キッチンに非ず)へ入る。
食器棚が倒れて冷蔵庫が動いて・・・・
と思っていたが、朝家を出たときと何も変わっていない。
なーにーィ!?
あわてて2階に上がり惨状を確認する。
洋室1・・・エアコンの部品が一部外れている
洋室2・・・物入れのなかから荷崩れが起こっている
和室・・・・たんすの上のホコリがふわっと落ちている。

・・・・なんの被害も無かった・・・・・

会社から自宅までかかった時間5時間。
かかった費用1万円。
被害なし。

なお、勤務先の中で、当日中に自宅に戻ったのは私と、目黒区に住むもうひとりのみであった。
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